[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」





“アラブの南井さん”について


Q.  南井英弘氏について
2005/11/09 (´・ω・`) さん
 いつも拝見させていただいております。
 昨夜、トップページからのリンク先に「山の救急医療ハンドブック」の書評が掲載されましたが、この南井英弘氏とはいったいどのような方なのでしょうか?
 その筋では有名な人?
 ひょっとすると、知らないのは私だけ???
 (まさか関係者の自画自賛なんてことではありませんよね・・・・?)




A.  南井さんとは
 南井さんご本人から略歴が届いております。許可を得ましたので載せさせていただきます。

 日本山岳会会員(会員番号9791)、関西学院大学山岳部OB(1958年卒)。1961年関西学院ペルーアンデス隊に参加。2004年シシャパンマと2005年マナスルは公募隊参加ですが、そのほかは全て単独かリーダーをしました。
 20年近くJAC医療委員会の研究発表会に参加し、登山と高所における医学的対処に知識と知恵の吸収に努めています。2000年杏林書店発行「登山の医学ハンドブック」の図書紹介は小生が担当しました。(「山」2000年8月663号)。現在図書委員会委員、1993〜1996年、理事(図書委員会担当、94年〜96年の3年間、百年史委員会も兼任で担当)を務めました。
 主な海外登山は61年5〜8月 ペルー、コルディエラ・ブランカ ワスカラン6768m/6400m、アヤカチ山群 コヨリティー5500m、コルケプンコ5500m、アヤカチ4峰5400m、ビルカノータ山群 ピコ・デ・ヴィクトール5885m、73年8アルプス メンヒ4099m、74年7月〜8月アルプス モンブラン4806m、モモンディ44465m、タキュール4248m、80年7月〜8月アルプス モンテローザ4634m、マッターホルン4478m、81年7月3日   単独 パキスタン・カラコルム フーシェ谷カプルーからチャラクサ氷河までトレック、97年7月7人 パキスタン・ヒマラヤ ブルダール5602/5400m(ナンガパルバット山塊)、98年6月〜7月  6人 パキスタン・カラコルム スコロ・ラ東峰5670m/5300m (ブラルド河沿い)、99年7月〜8月4人/2人 パキスタン・カラコルム ゴンドコロ・ピーク5650m(フーシェ谷源流)、2000年7月〜8月 5人/3人 パキスタン・ヒンズークシュ ディルゴルゾム6778m (ティリチミール山塊)、2001年6月7月  3人 パキスタン・カラコルム スパンティーク7027m/4500m、2002年6月〜8月 2人 中国/崑崙山脈 ムスターグ・アタ7546m、2003年7月〜8月  8人 パキスタン・カラコルム バルトロ氷河をコンコルディアまでトレック、ゴンドコロ峠越え、2004年9月〜10月 8人 中国/チベット自治区ヒマラヤシシャパンマ中央峰8008m、2005年4月〜6月 5人 ネパール・ヒマラヤ マナスル8163m/5800m

 ( “アラブの南井さん“について)
 丸善石油勤務、会社がアラブに石油の掘削鉱区を買ったので早速現地に行かせて欲しいと志願しました。数千人いた社員の中で唯一の志願者で、アブダビに日本人初の家族連れとして1972年〜74年10月まで駐在しました。73年オイルショックを現地で経験。第次オイルショックがあり再び年春から81年12月までクウエートに原油の買い付けで滞在。
 本心は、「アラブに赴任する飛行機の中からヒマラヤが見たい」を知らず、また、「灼熱のアラブ滞在で1年勤務後に1ヶ月の休暇がある。これは全て家族と一緒にアルプスに登ろう」との魂胆、赴任する大型ガッグの中にはピッケルやアイゼンも入っていました。
 クウェートから帰国後もアラブの要人との強いつながりを保持して仕事をしていました。91年、合併したコスモ石油の社長が「日本アラブ協会」の会長を引き受け、協会の仕事を私に一任されました。そんな事でコスモ石油の仕事から、遮二無二日本とアラブの架け橋になるべく昨年3月まで尽力しました。在日アラブ諸国の大使(現在18人)やアラブ諸国の石油大臣、現地の有力者や高官たちも、長年アラブに駐在してアラブ人の心を理解できる数少ない日本人として評価くださり、自分としても楽しくやりがいのある仕事、ボランティア仕事として満足いくまでやりました。もっと「架け橋役を続けて欲しい」と云われていましたが、仕事があるかぎり本格的なトレーニングができないので昨年3月末から非常勤相談役になりましたが、アラブは人間関係が重視されますので未だに度々事務所や大使館に呼び出されています。
(日本山岳会医療委員会  野口 いづみ)



Q.-1  “アラブの南井さん”
2005/11/28 (´・ω・`) さん
 “詳細”なる“略歴”をありがとうございました。
大変な御仁でしたのですね。どうやら南井さんを存じ上げなかったのは当方のみだったようです。失礼いたしました。
 ところで、やっぱりJACの関係の方だったわけですね。。。





   

Copyright (C) 2004 The Japan Alpine Club  The Committee of Medicine, All rights reserved.